先日、「ジュエリーの世界史」という本を購入しました。
内容は、古代から現代に至る世界と日本の宝石・貴金属・装飾品にまつわる
歴史などがとても詳しく記されていて、とても勉強になりました。
素晴らしい内容でしたので紹介させていただきます。
―裏表紙の紹介文―――
高価でお金持ちしか関係ないと思われがちな宝石。しかし、その意外な歴史はあまり知られていない。
ティファニーやカルティエはどんな人物?ダイヤモンドの値段はどう決まる?
古代日本人から装身具が消えてしまった謎など、身を飾りたいという欲望とかかわる装飾品の歴史的変遷から、業界人しか知りえない取引の詳細まで、宝石に関する面白い話、満載。「ジュエリーの話」改題。
―本文・抜粋―――――
ハリー・ウインストンが宝飾品の世界に入ったのは、1920年代の終り頃であった。この時代は第一次大戦の混乱のさなか、欧州の王侯や貴族などが、崩壊してゆく社会のなかで金に困って手放した大きな宝石が市場にあふれ、一方ではこれを買う新しい顧客として、アメリカの新興産業家を中心とする大富豪が登場してきた時代にあたっていた。この二つの流れを上手にあやつって、かつまた、この頃から生産が本格的に始まった南アフリカの巨大なダイヤモンド原石を自らカットして、市場に送り込む仕事をしたのがウインストンであり、彼はわずか一代、五十年で世界最大のダイヤモンド小売商となった。
(中略)
彼が生涯に自らカットしたダイヤモンドは二十カラット以上ものに限っても二百個以上、そのうち三十カラット以上のものが七十五個という、べらぼうな数だ。世界中のいかなる王侯貴族や大博物館でも、これだけの数のダイヤモンドを扱う事はあるまい。しかも、そのほとんどが、業界でD、Eカラー、フローレスと呼ばれる最上質のもののみだ。ウインストンの手になるものでもっとも有名なダイヤモンドは、ヨンカーと呼ばれる百二十カラットのもので、これは1974年に香港で四百万ドル―― 十四億円!――で売られて以来、所有者不明であるが、一説では日本人が所有しているとのこと、事実ならばぜひ見たいものである。
これほどのユニークな地位を得たウインストンには、世界のダイヤモンド業界を支配しているデビアス社の総帥であったハリー・オッペンハイマーも、一目おいたようだ。
1974年のことである。この二人のハリーは、ロンドンで原石一袋、二千四百五十万ドルという取り引きを行った。一袋、八十八億円! 取り引きはわずか十分で終了した。取り引き成立の握手がすむと、ウインストンはオッペンハイマーに言った。「ところでハリー、これだけの買い物に何かおまけはないのかね」と。通常、会長のオッペンハイマー自身が、こうした取り引きに立ち会うことはない。しかし、この取り引きは自ら行いたいと、席に臨んだのだ。一袋二千四百五十万ドルという価格は、原石の取り引きでは、史上最高のものであった。
オッペンハイマーは、にやりとすると、ポケットから百八十カラットもある原石をつまみ出すと、ウインストンの方へ転がしてよこした。ウインストンはそれをつまみ上げると、「どうも、ハリー」と言ってポケットにしまいこんだ。この原石からは、最大四十五カラットの見事なダイヤモンドがカットされ、「おまけ」というとぼけた名前を付けられて売られた。現在、再び市場に出るならば数十億円はする“おまけ”であった。
「ジュエリーの世界史」
山口 遼 著
新潮文庫
定価 590円(税別)
本当に素晴らしい本で、
世界的に有名なダイヤモンドの貴重な写真やエピソードの数々などが記載されています。
ジュエリーに興味のある方は、是非、一読をおすすめします。
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